2004年のジャイアンツ

逆指名やFAと言った制度を最大限に活用し、日本一の巨大戦力となった読売ジャイアンツですが、日本一を達成した2002年、2003年オフに激震が走りました。
日本一になった2002年は最大の立役者であった松井秀喜選手がFA権を獲得、ニューヨークヤンキースへ移籍する事となります。松井選手の後釜にはヤクルトスワローズと当時契約で揉めていたペタジーニ選手が加入しますが、50本塁打を打った松井選手の穴を埋めるに至りませんでした。翌2003年も巨大戦力を武器に断トツの優勝候補と目されていたジャイアンツですが清原選手の不振、ペタジーニ選手の故障等でシーズンはもたつき結局3位でシーズンを終了する事となります。
そして2003年のシーズン終了直前、原辰徳監督の電撃解任と堀内恒夫監督に就任が発表されるとチームはそれに反発、当時のコーチ陣が全員辞任し、引退する予定だった川相選手の引退撤回など様々な事が起こりました。
そしてその年のオフ巨大戦力のジャイアンツに近鉄を退団したローズ選手と福岡ダイエーホークスを退団した小久保裕紀選手の加入が発表されます。顎ニキビが治らない
そして迎えた2004年のシーズン、シーズン途中まではジャイアンツは首位を走っていましたが、更なる巨大戦力と4番打者を並べただけのチグハグな打線はその脆さを見て夏場には大失速、チームは当時のホームラン記録を更新、ローズ選手がホームラン王を獲得すると、小久保選手は3割以上の高打率とチームの右打者の歴代記録である44本のホームランを放ち気を吐きました。
しかし投打が噛み合わないまとまりを欠いたチームは結局ゲーム差を大きく引き離されての3位でこのシーズンを終えることとなりました。